阪神・淡路大震災から30年
今日1/17、阪神・淡路大震災から30年になります。
気持ちが重くなりますね…。
犠牲者は6434人。
ただただ手を合わせることしかできません。
被害に遭った友人も多くいますし、母校でも犠牲者が出て、あまりにもショックでした。
そして風化させてはならないと強く思いました。
以前NHKスペシャルで、地震におけるあらゆるデータを解析した結果を放送していたのですが、被害を少しでも減らすために、できることがいろいろあることを知りました。
今後長く活用していくためにも、忘れてはならないデータだと思います。
30年前…。
我が家は市の判定では半壊で、水道は3月まで使えませんでした。
コンセントごと前に移動した冷蔵庫以外立っている家具はなく、ガラスや食器は散乱。
このときを教訓に、寝室にはガラスを踏んでも大丈夫なスリッパを用意しています。
地震後しばらく経ってなんとか外に出ると、たくさんの人が呆然としていて、どなたかが持っていたラジオからは、大阪と京都の震度しか聞こえてこず、何がどうなっているのか恐怖でした。
蔓延するガスの匂い、消えた信号、新幹線の橋げたが落下している様、とても現実とは思えませんでした。
避難先の家で神戸の惨状を初めてテレビで見て、頭が真っ白になりました。
当時三宮で働いていたので、周辺のビルが倒壊していたのを映像で知って、血の気が引きました。
母方の祖母が子供時代に関東大震災を経験し、位牌と米を持って逃げた話を聞いていたので、無我夢中で米を車に積み込みましたが、時代が違いすぎる故、あまり意味がありませんでした。
米しか頭に思い浮かばなかった自分をアップデートすべきだと後から感じた次第です…。
関西に大きな地震は来ない。
硬い岩盤の六甲山があるから大丈夫的な、そんな根拠のない話を耳にしたことがあったので、防災意識はほとんどなかったのです。
今でもつい忘れがちになって、扉ストッパーを閉め忘れることがあったりしますが、改めて用心しなければと思います。
阪神・淡路大震災以降、地震の活動期に入ったらしく、東日本大震災や能登半島地震をはじめ、数多くの地震が発生し、大変な被害が出ています。
地震は本当に怖いです。
1995年、ボランティア元年と言われ、多くのボランティアの方々が、被災地に足をを運んでくださいました。
その後起こった数多くの災害にも、大きな力となって支援の輪が広がっています。
日本に住む限りいつどこで地震が起きてもおかしくない。
それが明日かもしれない。
防災意識を高めて生活していく日常が、あたりまえにならなければと今痛感しています。