あれから18年
18年前の今日は、阪神淡路大震災があった日です。
信じられませんが、もう18年も経ったんですね…。
やはり今日という日は心が痛みます。
2年前の東日本大震災を思い出しても、本当に心が痛みます…。
東日本大震災の津波の恐ろしさに、あの日はもう震えあがっていました。
津波の映像は怖くて見れません。
本当に胸が痛い。
少しでも前を向いて歩いていこうとしている方々を、応援することしかできません。
地震のことは思い出すのも嫌ですが、思い出して日ごろの生活を見直すことも大事です。
ちゃんと防災品は揃っているか?
水はちゃんと用意しているか。
賞味期限切れの保存食や薬はないか?
地震が起きた時の連絡網の確認。その他いろいろ。
今油断して棚の上に物を置くようになってしまっているので、考えなければいけません。
ここのところ我が家の住む地域は、地震があまり起きていないので、かえってそれが怖いです。
あんな地震がまた起きたらと思うと、もう…。
直下型地震の揺れの恐ろしさは、もう言葉にできませんでした。
部屋がぐるぐる回ってる感じ。
回ってる間に次々物が倒れ、壊れていく音。
恐怖で布団につかまることだけしかできませんでした。
子供の頃に関東大震災を経験した、今は亡き祖母が、寝室だけには物を置くなと、口を酸っぱくして言ってくれてたので、寝室には布団と小さいテレビしか置いてなかったので、怪我をせずにすみました。
今でもそれだけは守っています。
我が家は大きな川のそばに建っているので、地盤が緩いらしく、おまけに7階なので、揺れが大きかったのですが、神戸のポートアイランドの24階に住んでいた人は、吹き飛ばされたらしく、そんな話を聞くとぞっとします。
長田区で家が全焼した友人や、中央区で丸1日瓦礫に埋まっていた友人、灘にある母校の中・高や、東灘にある母校の大学では、後輩等多くの犠牲者が出ました。
当時勤めていた三宮の職場周辺も瓦礫の山で、仕事どころではなく、おまけに三宮まで電車が開通していなかったので、4ヶ月ほど自宅待機しておりました。
地震直後は、何が起こったのかわからず、ただラジオで「京都震度5、大阪震度4」といった情報しかなく、明るくなる前に即近くに住む親戚の家に車を飛ばしたのですが、周囲の一軒家は倒壊しているところが多く、道路はでこぼこ、ガスの臭い、信号機能せず、そして我が家近くの新幹線の高架がズッポリ落ちていたのを見たときには震えがきました。
家を離れるとき、停電していたのですが、無意識にブレーカー落として出たので、通話音がウンともスンとも聞こえず、まったく繋がらなかったらしく、電話をくれた友人たちには、本当にご心配をおかけました…。
あの頃は携帯が普及してなかったんですよね。
公衆電話だったら連絡できるという情報を聞き、超長蛇の列でしたが、みなさん一言二言でさっと切り上げていたので、長く待たずに済みました。
ルールのようなものが自然とできていたんですね。
電話で垂水の実家の無事がわかって、安心したことを鮮明に覚えています。
そこで教訓を得ました。
家を離れるときは、電気が復旧した時の火災予防のために必ずブレーカーは落とすこと。
そして近所の人に声をかける、もしくは無事ですとのメモをドアに張って出ていくことです。
地震が起きて早いうちに家を出たので、我が家の安否がわからないと、マンションの管理組合の人に心配してもらっていたので、無事であるということをちゃんと示しておかなければならないと思いました。ご迷惑をおかけしてしまいました。
1年に1度の今日という日に、防災意識を高めることが大事だと思っています。
人は災害や事故に遭ってしまった時、多くのものを失ってしまいますが、きっとなにか自分の中に芽生えたものもあるはずです。
その芽を見失わないようにしたい。
そのことを忘れずに生きていきたい。
人に迷惑や心配をかけない。
感謝の気持ちを忘れない。
人に優しくありたい。
そういう、人としての原点に立ち返ることを思い起こさせる日が、私にとっての1月17日なのです。
震災があったから、今の自分がいると思っています。
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